栗橋城 (くりはしじょう)
最寄地 茨城県猿島郡五霞町元栗橋154 2013.12.29 2014.1.8 2018.2.28
栗橋城 (くりはしじょう)
最寄地 茨城県猿島郡五霞町元栗橋154 2013.12.29 2014.1.8 2018.2.28
説明板
登城ルート
北東空堀
八幡神社東の 内堀
八幡社南東の土橋
八幡社
北東外堀
栗橋城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 法宣寺(表記番地)の西[マップコード45 372 838*45](地図)より杉林を分け入ると、水のほとんどない二重の堀が残っている。土塁を伝って、北西の主郭曲輪にゆくと、八幡社と愛宕大権現の社が祀られている。
法宣寺前の町道を南へ100m、説明板(地図)が路地の入口に建てられている。路地を西に行くと、空堀と思える窪みがある。草木が茂って状態は良くない。
その南は松本家の敷地であり、敷地の北側のトタンの小屋の先に、土塁がある。 権現堂川が掘られた時分断され、対岸の城跡に権現堂公園がある。
【歴史】 室町時代に古河公方の重臣・野田氏の居城となった。
永禄年間(1558~70年)城主・野田景範の時、北条氏照に接収され北条氏の関東攻略の拠点となった。
天正十八年(1590年)豊富秀吉の小田原征伐の後、家康の家臣・小笠原秀政が古河藩に入部した際、古河城修復の間、居城となったが、完成後古河城に移った後は、廃城となった。