中市館 (なかいちだて) (中市城)
最寄地 青森県三戸郡五戸町倉石中市上ミ平1−4 2014.8.13 2018.4.21
中市館 (なかいちだて) (中市城)
最寄地 青森県三戸郡五戸町倉石中市上ミ平1−4 2014.8.13 2018.4.21
登城ルート(緑線は車道)
東端の堀切
虎口
東側の曲輪
主郭
西の空堀1
二重の空堀(北端)
西の空堀2
中市館 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 五戸川右岸にあり、その支流に挟まれた標高103mの丘陵先端部に築かれており、南西から北東に向かって緩斜面となっている。
1回目の訪問は夏の盛りで草が鬱蒼として、あまりはっきりせず、空堀など見落してしまった。
2回目の訪問で北東端の堀切、南西端の2重空堀は深く、中央の土塁に登るとなかなか見応えがあった。
【案内】 国道454号線の「倉石郵便局」(表記番地)のある交差点に「中市城址入口」の碑があり、そこより南に約500m、五戸川を渡ったカーブの所に登り口があり、少し離れて説明看板が建てられている[マップコード84 001 134*46](地図)。側溝があるので駐車には注意を要する。
登り口より南に登ると、東端の堀切が見え、西に行くと井戸があり、その先に腰郭がある。
虎口を登ると東西200m南北80mほどの広い曲輪がある。明確な仕切りは無く単郭のようにも見える。西へ向かって緩やかに高くなり、西側に空堀が2重になって残っている。
【発掘調査】 発掘調査の結果、竪穴建物跡、掘立建物跡、鍛冶場跡、通路跡などが、検出された。遺物は陶磁器、釘、武具などの金属製品、砥石・臼などの石製品、古銭、ルツボなどが検出された。その年代は16世紀前半であった。
【歴史】 戦国期には三戸南部氏の支配下にあり、中市館には中市氏が居たという。
中市氏は、小笠原常西を祖とする櫛引兵庫の次男 武常が中市村を領し、中市氏を名乗った。
天正二十年(1592年)の「諸城破却書上」には、「中市 平城 破 小笠原 弥九郎 持分」とあり城は破却された。