神田城 (かんだじょう) (那須神田城) (国の史跡)
所在地 栃木県那須郡那珂川町三輪11‐9 2015.1.14
神田城 (かんだじょう) (那須神田城) (国の史跡)
所在地 栃木県那須郡那珂川町三輪11‐9 2015.1.14
城跡碑・説明板
北側堀・鳥居
神田穂喜与稲荷
主郭・北東側土塁
主郭・土塁
南側空堀
神田城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道293号線「神田城」交差点の役200m南東に「扇の館」(表記番地)に駐車場がある[マップコード222 600 051*67]。
南に行くとすぐ、東西63m南北108mの土塁で囲まれた長方形の単郭がある。
北側と南側に巾約10mの空堀が残り、北西に「那須神田城跡」の石碑と説明板が建てられている。東と西の堀は埋められ水田となっている。
東の中央に大手門と思われる開口部と土橋が残る。土塁は基底部の巾約10m、高さ5~6m、上面の巾約2mで四隅が1mほど高くなっている。西側は土塁が一部崩され、民家がある。北西隅土塁上に「神田穂喜与稲荷」の社が建てられている。
昭和五十九年(1984年)7月6日、国の史跡に指定された。
【歴史】 『那須家系』によると、首藤権守定信(那須氏の始祖)が讃岐国神田に住んでいたが、寛治二年(1088年)八溝山中にいる岩嶽丸を退治した功績により下野国那須の地を賜り、天治二年(1125年)に当城を築き居住した。
後に源平屋島の合戦で扇の的を射落した那須与一宗隆が、嘉応元年(1169年)那須資隆の十一男として、この地で生まれたと伝えられている。『那珂川町教育委員会説明板』より。