萩生城 (はぎゅうじょう)
所在地 山形県西置賜郡飯豊町萩生1950 2015.6.10
萩生城 (はぎゅうじょう)
所在地 山形県西置賜郡飯豊町萩生1950 2015.6.10
萩生城址碑・土塁
恩徳寺
恩徳寺西土塁
恩徳寺東・堀・土塁
萩生城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 JR米坂線「萩生駅」より西に約2km行った恩徳寺(表記番地)に説明板が建てられ、出丸とされる境内の西から北に土塁が残っている[マップコード515 823 143*53] (地図)。
主郭跡の「飯豊町除雪機械格納庫」の南東に、「萩生城址」(地図)の石碑が建てられ、南から西に土塁が残り、恩徳寺との間に水堀が残っている。
【歴史】 約6百年前、伊達宗遠が長井庄の地頭長井広房を攻略し、置賜地方を領有した。
その時、伊達氏の家臣国分政信が戦功によって、嘉慶二年(1388年)萩生郷を賜り、萩生城を築城した。
応永年間(1394~1428年)、国分氏三代光信が山王原に在った恩徳寺(857年建立)を祈願所として出丸に移した。
天正十九年(1591年)、伊達政宗の陸前岩出山城への移封に従い、陸前柴田郡へと移り、城は廃城となった。