石垣山城 (いしがきやまじょう) (一夜城) (国の史跡)
最寄地 神奈川県小田原市早川1352−110 2014.5.18
石垣山城 (いしがきやまじょう) (一夜城) (国の史跡)
最寄地 神奈川県小田原市早川1352−110 2014.5.18
南曲輪石垣
南曲輪跡
二の丸跡
本丸石垣
本丸跡
西曲輪跡
井戸曲輪跡
石垣山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 「石垣山一夜城歴史公園」として開放され、城跡の南に「一夜城ヨロイヅカ・ファーム」(表記番地)大駐車場がある[マップコード57 225 686*36]。
本丸の西に「西曲輪」、南に「南曲輪」、東に「二の丸跡」、「井戸曲輪跡」が配置されている。
大正十二年(1923年)の関東大震災で大部分の石垣が崩壊した。野面積の南曲輪石垣や井戸曲輪の石垣はこれに耐え、良く残っている。本丸には天守台や社があり、石垣は大部分が崩れている。
昭和三十四年(1959年)5月13日、石垣山の名称で国の史跡に指定された。
【歴史】 豊臣秀吉が天正十八年(1590年)の小田原征伐の際に小田原城の南西約3㎞にある笠懸山の山頂に構築した。
小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ、戦闘意欲を失わせる効果を果たしたといわれる(一夜城の名もそれに由来する)。
石垣や櫓を備えた本格的な「近世城郭」であり、関東で最初に造られた総石垣の城であった。
約3~4万人を動員し、80日で構築された。秀吉はこの城で茶会を開き、天皇の勅使を迎えた。当時、天守があったかは不明である。