住吉要害 (すみよしようがい) (山下長者屋敷)
所在地 神奈川県平塚市山下399 2022.8.23
住吉要害 (すみよしようがい) (山下長者屋敷)
所在地 神奈川県平塚市山下399 2022.8.23
南東土塁
説明板
南西土塁(内側)
東光寺
虎女住庵の蹟
住吉要害跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 東光寺南西に位置する東西100m南北80mほどの山下長者屋敷と呼ばれる方形館で、南東と南西(地図)に土塁の一部が残っている。
屋敷跡には10軒ほどの住宅が建っており、西側水路は堀跡と思われる。
【案内】 東光寺(表記番地)の南西側にある一画が住吉要害で、南東土塁に山下長者屋敷の説明板が建てられている(地図)。駐車スペースは少ないが、八幡神社付近に路駐した[マップコード15 277 176*15]。
東光寺には「虎女住庵の蹟」の石碑や五輪塔が祀られている(地図)。
その東の八幡神社には7基の宝篋印塔などが保存され、北西の薬師堂横にも天正年間のものとされる五輪塔が集められている(地図)。
【歴史】 鎌倉時代の土豪山下氏の屋敷跡とされ、建久四年(1193年)富士裾野で父の仇工藤祐経を討った曾我兄弟の兄十郎祐成を助けた虎御前は、この館で誕生したと伝わる。仇討ち後、十郎と五郎の死の報に接した十郎の愛嬌虎御前は出家しここに閑居したという。
永正七年(1510年)相模国平定を目指す伊勢宗瑞は扇谷上杉定正の家臣で、相模守護代の上田政盛を調略し、扇谷上杉方と対峙した(権現山合戦)。
その際、住吉要害と高麗山城を改修し後方陣地としたという。