愛宕山城 (あたごやまじょう)
最寄地 茨城県日立市大久保町4丁目17−15 2020.4.25
愛宕山城 (あたごやまじょう)
最寄地 茨城県日立市大久保町4丁目17−15 2020.4.25
登城ルート
配水場手前の道の右側下を進む
二郭東端の土塁
二郭主郭間の土橋・空堀
主郭
主郭西の空堀(右側が主郭)
愛宕山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 天神山城南の丘陵の標高124m地点位に主郭が築かれ、東に二郭、給水場となっている三郭が並んでいる。北東約500mには大窪城がある。
主郭の西と東に空堀があり、特に東側の二郭との間は屈折のある空堀で隔てられ、土橋が架けられている。
二郭に行くには給水場北側の斜面を回り込んでいかなければならず、標識などもなく辿り着くのは容易でない(給水場内隅に専用通路などが欲しい所だ)。
【案内】 日立市大久保町4丁目の表記番地南の市道に面して「←480m愛宕山城跡」の石碑が建てられている[マップコード47 779 701*41](地図)。
そこから南西に140m程行くと、「日立梅ヶ丘病院→」の看板があり西に行くと多賀配水場入口がある[マップコード47 779 634*00]。チェーンが張られその前に駐車できる。
給水場はフエンスが張り巡らされており、門扉手前の石垣から右に下り(地図)、フエンスに沿って西へ行くと、2郭に着く。
一番東の曲輪は給水場で、西側の二郭は傾斜地で円墳が見られる。その西に土橋の架かる屈折した空堀が見られる。
主郭は鬱蒼とした山林で、西側に空堀が残っている。
【歴史】 14世紀、奥州の石川冠者有光の14世詮光(あきみつ)の3男茂光が佐竹氏に仕えて初代大久保城(愛宕山城)城主となった。
その後天神山城を築き、16世紀頃、城は愛宕山・天神山に加え東の大窪城を築き、地域支配と防衛の拠点となった。