山吹城 (やまぶきじょう) (大原城) (市の史跡)
最寄地 岩手県一関市大東町大原川内35 2019.10.16
山吹城 (やまぶきじょう) (大原城) (市の史跡)
最寄地 岩手県一関市大東町大原川内35 2019.10.16
登城ルート(緑線は車道)
搦手口
2の丸切岸
二の丸・奥に本丸
大銀杏・土塁・標柱
南西から見た本丸(奥に大銀杏)
3の丸・空堀
山吹城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高60m】
【感想】 大東町大原の砂鉄川右岸の標高203.3mの丘陵に築かれている。
東西約90m南北約30mの本丸の東に2の丸、西に3の丸があり、堀切や切岸がよく残っている。草刈りや花壇などの保存活動も定期的に行われているようだ。
「大東勤労者体育センター」前に仙台藩5代藩主「伊達吉村公誕生地」の石碑や紀行家「菅江真澄遊覧の地」の標柱が建てられている。
【案内】 国道343号線より北に、砂鉄川を渡り「大東勤労者体育センター」(表記番地)東の市道を行き峠に搦手口があり、説明板、案内図が建てられている[マップコード308 377 239*82](地図)。そこに駐車場があるが、2の丸まで車で行ける。
2の丸の北東に堀切で隔てて小郭があり、広い2の丸の西に切岸の目立つ本丸がある。
本丸は東西に細長く、三角点があり、四阿が建てられ東端と西端に土塁が見られる。本丸の西に空堀で隔てて3の丸がある。
昭和五十四年(1979年)3月20日、一関市の史跡に指定された。
【歴史】 葛西七騎の一つ東山旗頭と称された大原千葉氏の居城であった。
奥州藤原氏の滅亡後、寛喜二年(1230年)奥州探題として関東から派遣された千葉頼胤の子・宗胤が築城したと伝えられる。
大原千葉氏は17代葛西晴信の弟・信茂が山吹城主となった。
最後の城主・千代竹丸は、天正十八年(1590年)八月、1700騎の大将として神取(石巻市桃生町)に出陣し、豊臣秀吉の奥州仕置軍に抗したものの敗れ、山吹城も落城した。
翌年九月、石田三成によりこの地の要地として修復された。