蠣崎城 (かきざきじょう) (錦帯城)
最寄地 青森県むつ市川内町蠣崎合野74 2014.8.12
蠣崎城 (かきざきじょう) (錦帯城)
最寄地 青森県むつ市川内町蠣崎合野74 2014.8.12
公園入口・城跡碑
公園下の坂・金帯城公園の標柱
本丸跡・供養塔
西の郭跡
蠣崎城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 国道338号線に面した表記番地の蠣崎小学校跡地(廃校舎現存)の西に城跡碑や説明看板が建てられている。そこより北に未舗装の道をゆくと城跡下に出る[マップコード847 287 696*44]。
その上の台地が蠣崎城跡で東西に細長い曲輪があり、北西側下段の曲輪へ続いている。
錦帯城公園として整備され、南東側の標高約60mの本丸跡に「錦帯城主蠣崎蔵人供養塔」が建てられている。西側の少し下がった郭からは陸奥湾が望める。
【歴史】 蠣崎城は中世の城で、建武元年(1334年)南部師行の蠣崎目代として配された武田修理太夫の居館で、以後5代120年間にわたり住した。5代蔵人信純の代に蠣崎氏を称したという(東北太平記)。
宝徳三年(1451年)蠣崎蔵人によって拡張工事が行われ、別名、錦帯城ともよばれた。
康正三年(1457年)蠣崎蔵人信純による蠣崎の乱により、13代根城南部政経の追討を受け、陥落した。蠣崎蔵人は蝦夷地(北海道)に逃れた。その後、南部氏の領地となり、一族新田盛政を城代とした。