花崎城 (はなさきじょう) (花崎遺跡)
所在地 埼玉県加須市花崎2‐22 2013.11.27
花崎城 (はなさきじょう) (花崎遺跡)
所在地 埼玉県加須市花崎2‐22 2013.11.27
説明板
花崎城山公園
堀
曲輪跡
堀
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 水堀が残る花崎城山公園(表記番地)となっている。落葉が曲輪跡に散り敷いている。西から北にかけて濠がある(地図)。
公園北側には東武伊勢崎線が通っており、花崎駅南口から徒歩で西へ500mほどにある。
花崎遺跡周辺には縄文時代から人びとが居たと考えられる。平安時代には住居を構え住みつくようになったと考えられる。
戦国時代には居館を構え戦いに備えていた所であったことが発掘調査により解明された。『新編武蔵風土記稿』に記載されている「花崎城」があった場所とされる。
今日の久喜市の粟原城(南東約2.7㎞現鷲宮神社)の支城として築城されたと考えられている。
【歴史】 永禄三年(1560年)から翌年の長尾景虎(上杉謙信)の小田原攻めの時に、家臣の木戸宮内少輔に花崎城を攻めさせたことが記録にある。
このとき、城主の細萱民部少輔は小田原城に参陣していたので、幼少の細萱泰秀が守っていたが花崎城、粟原城とも落城した。