高麗本郷陣屋 (こまほんごうじんや)
最寄地 埼玉県高麗本郷245 2018.4.3
高麗本郷陣屋 (こまほんごうじんや)
最寄地 埼玉県高麗本郷245 2018.4.3
旧新井家住宅
西側道路・九万八千神社
南側参道
九万八千神社
北側段差
岡村記念クリニック東側
北東の稲荷神社
高麗本郷陣屋跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 観光地となっている巾着田の北の県道沿いに古民家「旧新井家住宅」が保存されている。
その北側の台地が陣屋後で、畑や空き地となっており、西側の少し高くなったところに九万八千神社が祀られている。目立った遺構はないが、北側に切岸状の段差が見られる。
陣屋が火災で焼失した後、栗坪に陣屋を移したと云われる。現在岡村記念クリニック(日高市栗坪230)敷地や駐車場、民家などになり、遺構は消滅している。
【案内】 県道15号線「新井家住宅」(表記番地) の県道向かいの巾着田駐車場が利用できる[マップコード91 172 800*43]。
「新井家住宅」の北東隅から陣屋跡に細い道が通じている 。
【歴史】 天正十八年(1590年)徳川家康の関東移封に伴い、直轄領を支配するため伊奈忠次(いなただつぐ)、彦坂元正(ひこさかもとまさ)、大久保長安(おおくぼながやす)らの代官を任命した。
徳川家康の家臣大久保石見守長安は八王子に陣屋を置き、さらに、高麗・毛呂郷を管轄するため高麗本郷に陣屋を置いた。
慶長二年(1597年)高麗陣屋は火災で焼失し栗坪に陣屋(高麗陣屋:岡村記念クリニック辺り)を移した。
慶長八年(1603年)七月、長安は佐渡奉行に任じられた。
延享年間(1744~48年)、この地方で徳川御三卿(田安・一橋・清水家)の領地が多くなると、高麗陣屋は廃止された。『日高市ホームページ』