小友館 (おともだて) (阿彦館)
最寄地 秋田県秋田市下新城小友中坪172 2015.7.6
小友館 (おともだて) (阿彦館)
最寄地 秋田県秋田市下新城小友中坪172 2015.7.6
登城ルート
西側林道からの 登り口(右)
駐車場・休憩所
小友館跡碑
西の郭
東の郭・休憩所
小友館跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【案内・感想】 表記番地の道を東に箒田沢ダムと堀田沢ダムの間を通って、約900m行くと、三叉路(地図)となり左折して箒田沢ダムを大きく西に回って約3㎞車で行くと公園駐車場に着く[マップコード456 195 423*83]。
三叉路より右に徒歩で歩行距離約1.3㎞比高約120mを登ると、同じ駐車場に着き、地図にはこの歩道が載っている。
また秋田市上新城中松木台86南の道より北東に1.6km行った地点(地図)を右折約2.5km行くと駐車場に着く(こちらも地図にないが、航空写真には道路が見える)。
小友館跡は標高194m館山頂上の南東約200mの尾根に位置し、2つの郭と中間の郭で構成され、登り階段の途中に清水があり、その上に「小友館跡」の碑が建てられている。南の郭に休憩所が建てられ、西に秋田市街と日本海が望める。本丸は東側の館山頂上杉林の中にあるらしいが、今回は見逃がした。
【歴史】 新城郡周辺を支配した安東氏の一門小友安東氏(阿部氏・阿彦氏とも称される)の居館で、秋田市内で最大規模を誇る山城である。
一説には安東久季が館主であったとされる。文献からは、阿部阿波守綱季、久季の名や、石名坂館主に阿彦左七の名がある。
永享六年(1434年)頃の館主は阿部綱末の子、中務小輔久末といわれている。小友安東氏(阿部氏)は近隣の岩城館を拠点とする岩城氏(新城氏)の勢力が増大すると共に次第に衰退していった。
その後、天正十七年(1589年)の湊合戦で涌本脩季(脇本城主で安東一門)の家臣で坂本城主(現・秋田県井川町)に安孫子喜兵治の名が見える。