坂戸城 (さかどじょう)
最寄地 茨城県桜川市西飯岡1312 2018.2.21
坂戸城 (さかどじょう)
最寄地 茨城県桜川市西飯岡1312 2018.2.21
登城ルート(緑線は車道)
カート置き場左の登り口
2郭入口(この付近から入る)
2郭南の横堀
虎口・左側に空堀
主郭・櫓台
櫓台・神社
坂戸城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高40m】
【感想】 北関東自動車道の北、標高217.8mの城山に築かれている。主郭はよく整備され、土塁や櫓台が明瞭に見て取れる。しかし、空堀や、2郭(横堀を含めて)は放置され藪化しており、たどり着くのは容易ではない。
【案内】 「筑波学園ゴルフ倶楽部」(表記番地)北側上段の駐車場が利用できる[マップコード487 129 368*37]。
カート置き場建物の西側より、電気柵を越えて遊歩道が整備され、主郭まで通じている。主郭虎口の左右に空堀が残り、城山頂上に主郭がある。主郭は50m四方ほどで、土塁が残り東側に櫓台があり神社、五輪塔が祀られている。
2郭は途中の藪から入り南側に藪化した横堀が残っている。その南側下段に石造の社が祀られている。
【歴史】 宇都宮家臣の小宅高国が築城し小宅氏の居城としていた。
戦国時代中期には宇都宮氏と小田氏の間でこの城を巡り激しい争いがあった。
天文十八年(1549年)に喜連川五月女坂の戦いで主君の宇都宮尚綱が討死した際の混乱に乗じて、小田氏に攻められ家臣・信太氏が城主となるが、その後宇都宮勢に反撃され奪還された。
永禄七年(1564年)に小田家臣・信太頼範の軍勢が攻め込み、城主小宅尚時は主家の宇都宮広綱に救援を出し籠城するが、坂戸城は攻め落とされ小田氏の手に渡り、小宅尚時は小栗城へ逃れた。
その後再び宇都宮勢の反攻に遭い坂戸城は再び落城し信太頼範は討死した。小宅氏は再び坂戸城の城主となった。