高屋敷館 (たかやしきだて) (国の史跡)
最寄地 青森県青森市浪岡大字杉沢上福田1 2016.6.7
高屋敷館 (たかやしきだて) (国の史跡)
最寄地 青森県青森市浪岡大字杉沢上福田1 2016.6.7
登城ルート(緑線は車道)
賽の河原
集落跡
集落跡・空堀
土塁・空堀
高屋敷館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道285号線より西へ行き、白山神社(表記番地)北を西へ川を渡り、奥羽本線踏切を越えて、浪岡バイパス交差点の手前(東側)を北に約300m行くと「賽の河原」の建物がある[マップコード71 535 676*21]。横の鞘堂に地蔵が安置されている。
建物に「賽の河原」移転由来の説明文が掲げられている。そこより砂利道を少し行くと、高屋敷館跡があり、土塁、空堀が復元されている。
平成十三年(2001年)1月29日、国の史跡に指定された。
【歴史】 平成六年に国道7号バイパスに関連して発掘調査をした高屋敷館遺跡は、平安時代後半の環濠(防御性)集落として、全国の注目を浴びた。
以後、平成十二年に至るまでの保存運動の高まりと共に、既存のルートを迂回させて遺跡保存を行った。同時に「賽の河原」も移転された。
遺跡は東に平野を臨む台地の縁辺に立地し,南北約100m、東西約80mの規模をもつ。西側には、幅約6m,深さ約3mの濠とその外側に幅約2m,現存高約1mの土塁を巡らし、集落を外部から遮断している。
濠の西側には出入口と考えられる土塁が途切れた部分があり、この他南西部にも木の橋が濠に架けられていた。
濠の内部には大小の竪穴住居が重複しながら密集し、その数は86棟が確認されている。
記録によれば、岩手県・秋田県の地域においては、11世紀後半に前九年、後三年の役があったが、これらの遺跡の存在から、それ以前から、蝦夷の集団相互の抗争などがあったことも想定される。『文化庁国指定文化財』。