延沢城 (のべさわじょう) (野辺沢城・霧山城) (国の史跡)
最寄地 山形県尾花沢市延沢783 2015.6.12
延沢城 (のべさわじょう) (野辺沢城・霧山城) (国の史跡)
最寄地 山形県尾花沢市延沢783 2015.6.12
登城ルート
登り口・常盤中学校碑
枡形門跡
櫓門跡
本丸跡
大明神・霧山城之碑
天人清水・堀切
三の丸跡
延沢城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高110m】
【案内・感想】 常盤中学校(表記番地)の校庭の西側に駐車場があり[マップコード720 821 601*56] 、校舎の西と東に登り口がある。東より登ると、まもなく三の丸跡がある(地図)。その先で西登り口の道と合流する。
登り口から比高110mの古城山頂上(標高297m)に東西110m南北70mの広大な本丸がある。本丸には枡形門跡や櫓門跡、北側に高い土塁が残り、大明神、霧山城之碑が建てられ、穴道址が残っている。東端と南端には櫓台が残されている。また中央に樹齢1100年と推定される大杉がある。
北に二の丸等の郭が残り東に細長い馬場跡がある。その北に天人清水があり、堀切につながっている。麓の県道29号線東に大手門跡が残っている(地図)。
昭和六十年(1985年)12月21日延沢銀山遺跡の内、延沢城跡として国の史跡に指定された。
【歴史】 天文十六年(1547年)野辺沢薩摩守満重により築かれ、初代城主となった。
二代能登守満延・三代遠江守康満(光満・あきみつ)・光昌・あきまさ)2万7千石の居城であった。
元和八年(1622年)八月、山形最上家の改易により延沢家も連座し、延沢城も幕府に没収された。
その後、寛文七年(1677年)幕府の手によって破却された。『尾花沢市教育委員会』説明板より。