後閑館 (ごかんやかた) (町の史跡)
所在地 群馬県利根郡みなかみ町後閑451 2019.2.16
後閑館 (ごかんやかた) (町の史跡)
所在地 群馬県利根郡みなかみ町後閑451 2019.2.16
登城ルート(緑線は車道)
北西石垣・館跡標柱
北側土塁
北側石垣・虎口
増田堂・説明板
説明板
後閑館跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 利根川左岸の河岸段丘上にあり、館は60×50mのやや台形で民家敷地となっている。
西面と北面に石垣付の土塁が残され、北面に虎口が見られる。
【案内】 県道61号線「後閑」交差点の南すぐを左斜めに登り、JR上越線踏切を越え、30m先を左折して表記番地に向かう。その西側道路に面して石垣付の土塁が残され、北西角に「後閑館跡」の標柱が建てられている(地図)。駐車スペースは少ないが、その北の道路左に何とか駐車できる[マップコード183 645 660*82]。併せて、ここから内小山砦にも登れる。
徒歩の場合、JR上越線「後閑駅」から北に600m8分ほどで行ける。
北側に石塁、虎口があり、東側の増田堂横に説明板が建てられ、増田氏の五輪塔が安置されている。
みなかみ町の史跡に指定されている。
【歴史】 後閑館は南北朝時代初頭、後閑次郎祐房が築いたと云われ、後に内小山砦を付加した。祐房は永和四年(1378年)没した。
後閑氏は代を重ね、天文二十三年(1554年)7代民部泰良は湯桧曽村で天逝し、父茂作郎も老衰のため隠居、娘婿の増田正雲斉が相続した。
文禄元年(1592年)茂作郎の死去により、後閑氏は滅亡したが、その後天和元年(1681年)まで増田氏により庄屋職が継承された。