逆井城 (さかさいじょう) (飯沼城) (県の史跡)
所在地 茨城県坂東市逆井1261 2013.9.21 2018.2.21
逆井城 (さかさいじょう) (飯沼城) (県の史跡)
所在地 茨城県坂東市逆井1261 2013.9.21 2018.2.21
登城ルート
物見櫓
移築関宿城門
主殿
馬出し
主郭西の空堀・木橋・櫓門
2郭北東の空堀
逆井城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 西仁連川南の台地上に築かれており主郭を空堀で囲み、その周りに2郭を配した構造となっている。水堀、空堀や土塁が良く残っている。
2郭と主郭の間に馬出しがあり、大空堀に「鐘堀池」が残る。また主郭東側の空堀には木橋があり櫓門が復元されている。
【案内】 「逆井城跡公園」(表記番地)として整備され、南側に駐車場が用意されている[マップコード45 507 531*53]。
橋、冠木門、二層櫓、物見櫓、築地塀が復元されている。又、関宿城門、観音堂が移築され、主殿が復元されている。
昭和六十年(1985年)3月25日、茨城県の史跡に指定された。
【歴史】 室町時代、飯沼のあったこの地は後北条氏と佐竹・結城・多賀谷氏の境目に位置した。築城は享徳年間(1452~55年)頃といわれる。
小山義政の五男・常宗がこの地を領して逆井氏を名乗り、この城を居城にしたという。
しかし常宗の孫・常繁のとき、天文五年(1536年)古河公方方であった逆井氏は後北条氏と対立した。そのため後北条方の大道寺盛昌の攻撃を受け逆井古城は落城、逆井氏は滅亡したと伝わる。
後北条氏の勢力下に入った逆井城は、天正五年(1577年)、玉縄城主北条氏繁によって藤沢から技術者が呼ばれ、飯沼に面した高台に新たに築城され、北条氏繁が城主となった。翌年氏繁が没すると、氏舜が城代となった。風魔小太郎の子・風魔孫右衛門など忍者集団300人が拠っていたともいう『関八州古戦録』。
天正十八年(1590年)秀吉により後北条氏の滅亡とともに、廃城となった。