造海城 (つくろうみじょう) (百首城)
最寄地 千葉県富津市竹岡4455 2015.4.3
造海城 (つくろうみじょう) (百首城)
最寄地 千葉県富津市竹岡4455 2015.4.3
登城ルート
燈籠坂大師とトンネル
6郭
3郭(主郭)・祠
主郭西側空堀(横堀)
2郭
2郭北堀切
十二天神社
造海城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【感想】 2回目の挑戦で、燈籠坂大師より登ってみた。自然石をくりぬいたトンネルは圧巻である。
拝殿右の石段を登ると、堀切と思われる尾根に出、左に登ってゆく。
前回に比べ印象として登りやすい。4郭(副郭)手前で右に登るが、ここが迷いやすいので場所を覚えておくとよい。
【案内】 延命寺(表記番地)に駐車し、北に墓地の横を通って遊歩道を約200m行くと白虎川西に「十二天神社」があり、その裏より急な尾根を南西に登る(地図)。白虎川の橋を渡っても「十二天神社」に着く。
尾根に取り付き、はじめの150mはかなり急だが、後の100mは緩やかとなる。所々ロープが設けられ、堀切を登ると篠竹の生えた郭が2つあり、削岩した堀切、比高90mの城山頂上に広い主郭(3の郭)、堀切、薮の4の郭、堀切と並んでいる。
主郭の北側(海側)に空堀(横堀)が残っている。主郭より海側に降りていくと井戸があるが、柵もなく転落にはくれぐれも御注意を!。
主郭の西にも広い5,6郭が段々になってある。4郭の南から国道127号線城山トンネル上を通って行くと、燈籠坂大師(富津市竹岡4487)に至る。(郭番号は十二天神社側からの呼称)
【歴史】 寛正二年(1461年)、真里谷城主真里谷信興により築城された。
天文三年(1534年)、真里谷信隆と信広の間に家督争いが起き、信隆の子信政が拠点とした。
天文六年(1537年)、信応に付いた里見義堯に攻められ開城し、里見氏方の正木氏が入った。
天正十八年(1590年)、豊富秀吉の小田原征伐の後、里見氏が安房一国に減封され、廃城となった。
江戸時代末期、城内の北端及び南西端(5,6郭)二箇所に砲台場が設けられた。