岡見城 (おかみじょう)
所在地 茨城県牛久市岡見町 2015.4.7
岡見城 (おかみじょう)
所在地 茨城県牛久市岡見町 2015.4.7
入口
城址碑・供養塔
主郭・土塁
土塁・空堀
北の曲輪
岡見城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道408号線「岡見」交差点より県道48号線を南に約450m行き、右折未舗装の細い道を約300m行くと三叉路になり右折し登ると、鉄塔の北東に入り口がある[マップコード65 486 601*62]。
作業道を東に80mほど行くと、「岡見城址」(岡見越前守中将頼明公)、「岡見家之霊菩提供養塔」の石碑が建てられている。本丸跡には約50m四方の土塁が良く残り、東と南には切岸があり、北に空堀がある。その北にも曲輪がある。
【歴史】 室町時代から戦国時代に活躍した岡見氏の城で、小野川に面した岡見の台地に築城され南北朝時代から戦国時代まで使用された。
岡見氏は、南北朝時代に小田治久の次男が岡見に封じられ、この地に城を築き、岡見の地名を称した。
一族はやがて牛久、足高、谷田部等に築城して勢力を伸ばした。岡見越前守中将頼明らが在城している。
その後の岡見城については詳らかではないが、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際に廃城になったものと考えられる。