真里谷城 (まりやつじょう)
所在地 千葉県木更津市真里谷5439 2016.12.9
真里谷城 (まりやつじょう)
所在地 千葉県木更津市真里谷5439 2016.12.9
説明板
3郭・土塁
城山神社
物見台南の堀切
千畳敷虎口
千畳敷(主郭)と土塁
2郭東の堀切
2郭
真里谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 城跡は木更津市立少年自然の家(キャンプ場)として利用されているが、当日は冬期で休止中であった。
千畳敷をめぐる土塁は見事で、特徴的な虎口が残っている。大手道を挟むように2、3、4郭があり攻め込む敵に備えている。
【案内】 県道168号線より南西に850m行った左側に入口[マップコード49 358 313*71]がある。駐車場は休止中のため、引き込み道路に路駐した。
南東に約450m行くと、4郭入口があり堀切の先にしみ出る「いっぱい水」があり、右に登ると4郭がある(地図)。
戻って少し南の右手に3郭(地図)があり、土塁が残っている。キャンプ場管理棟の右に曲輪、堀切、2郭(地図)がある。
管理棟左に城山神社が建てられ、その背後に物見台がある。
管理棟の裏を南に行くと、帯郭がありバンガローが建てられている。中ほどから左に登ると、虎口があり千畳敷と呼ばれる広大な主郭がある。東側に高い土塁が残り、その東に帯郭が南北に伸びている。
【歴史】 上総武田氏の祖武田信長は子の信高を庁南城に置き、自身は真里谷城に孫の信興と共に拠り、真里谷(まりやつ)家を興した。
真里谷氏は真里谷信興から信勝、信清の3代の間に最盛期を迎えた。4代目真里谷信隆の代に異母弟真里谷信応との間で内争が発生した。
武田氏と里見氏連合軍が北条氏に敗れた国府台合戦(1538年)以後武田氏の勢力が衰えるとともに真里谷氏も力を失った。
天正十八年(1590年)、真里谷信孝の代に真里谷城は豊臣勢に攻められ落城し、廃城となった。