白老仙台藩陣屋 (しらおいせんだいはんじんや) (国の史跡)
所在地 北海道白老郡白老町陣屋町681‐4 2014.8.7
白老仙台藩陣屋 (しらおいせんだいはんじんや) (国の史跡)
所在地 北海道白老郡白老町陣屋町681‐4 2014.8.7
内曲輪北側門跡・土塁・堀
内曲輪建物跡
内曲輪井戸・建物跡
内曲輪南門・橋・土塁・堀
外曲輪・二番長屋跡
外曲輪御門・土塁
【感想】 白老川の支流のウトカンベツ川と西側の川に挟まれた地形の中にある。円形の土塁、堀で囲われた内曲輪、その南に土塁を円形・弧状に巡らした外曲輪があり、南の御門を出ると「白老仙台藩陣屋跡」石碑が建てられている。
夏は過ごしやすいが、冬は酷寒で、寒さを凌ぐ着物姿の武士の姿が目に浮かぶ。
【案内】 道央自動車道「白老IC」より南に200m行き、左折600ほど行き右折、桜ヶ丘通りを260m行くと、陣屋南側桝形に着き、駐車できる[マップコード545 221 021*42](地図)。またその150mより北に650mゆくと「仙台藩白老元陣屋資料館」(表記番地)に駐車場が用意されている。
内曲輪は直径60間(108m)のやや歪んだ円形で、土塁の高さは1間であり、入口付近は1丈(3m)と高くなっている。
中央に井戸があり、本陣、勘定所、穀蔵、兵具庫、馬屋、などが建てられ、平面復元されている。
太鼓橋で結ばれた外曲輪(地図)は南北117間(210m)ほどの長円形で東側に高さ1丈の土塁、堀を巡らし西側は蛇行する小川を利用し土塁が築かれている。
南の入口は土塁を弧状の桝形に築いた御門がある。更に曲輪外に馬出と呼ばれる土塁を築き直接陣屋内を覗きこめないように工夫されている。
中には二~五番長屋と稽古場があり、夫々平面復元されている。遺構は良好に残っている。
陣屋跡より東に約2.6km行った(室蘭本線白老駅より約1km)ポロト湖畔に「アイヌ民族博物館」(白老町若草町2-3-4)(地図)がある。
落ち着いた風光明媚な湖畔にコタンコロクル像やアイヌの家屋が建てられている。また「ポロトコタンの夜」の公演が有料(大人2000円・中学生以下1000円;夕食は公演前に追加2000円)でみられる。問い合わせ先「アイヌ民族博物館」(0144-82-3914)。
【歴史】 安政元年(1854年)徳川幕府は鎖国を解いてアメリカ・ロシアと和親条約を結び、箱館港などを交易場とした。
このため幕府は蝦夷地を直轄地とし翌年仙台藩をはじめ津軽・秋田・南部の奥羽諸藩と松前藩に警備を命じた(安政六年庄内藩と会津藩も加わった)。
安政三年(1856年)蝦夷地の防備を固めるため仙台藩により築かれた。仙台藩の守備範囲は白老から襟裳岬を越え国後・択捉までの東蝦夷地であり、白老に元陣屋を、広尾・厚岸・根室・国後・択捉に出張陣屋を築いた。
元陣屋には2百名程の人々が駐屯して警備に当たったが、明治元年(1868年)戊辰戦争の勃発によって撤収するまでの十二年間、慣れない土地での仙台藩士達の苦闘が陣屋跡に刻まれている。
昭和四十一年(1966年)3月3日、国の史跡に指定され、昭和五十一年(1976年)7月8日、国の史跡に追加指定された。