石岡城 (いしおかじょう)
所在地 茨城県石岡市貝地1‐11 2015.2.21
石岡城 (いしおかじょう)
所在地 茨城県石岡市貝地1‐11 2015.2.21
岡田稲荷神社・説明板
説明案内板
土塁
札掛大明神・土塁
空堀(竹捨て場)
曲輪跡
石岡城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 岡田稲荷神社(表記番地)[マップコード112 348 324*40]が本丸跡に建てられ拝殿東に、空堀・土塁が残る。空堀は、竹捨て場となっていたのが残念である。
鳥居の横に説明板が建てられている。北にかっての城主札掛氏を祀る「札掛大明神」が建てられている。
【歴史】 建保二年(1214年)常陸大掾を継承して、常陸国衙において政務を執っていた大掾資幹(だいじょうすけもと)は、鎌倉幕府から府中の地頭職を与えられ、この地に居館を構えた。
その後、大掾氏の拠点として、城郭が整備され「税所(さいしょ)文書」には、南北朝期の大掾高幹の居城として「府中石岡城」の名が記されている。高幹の子・詮国の代に、常陸国衙(ひたちこくが)を拡張して府中城を築き移ったため、石岡城は「外城」(とじょう)と呼ばれたという。
近世後期に書かれた地誌類には、大掾氏が府中城に移った後の「外城」の城主として、石岡某・札掛兵部之助・田島大学などの名があり、天正十八年(1590年)の大掾氏滅亡と共に外城も廃城となった。『石岡市教育委員会説明板』より。