梁瀬城 (やなぜじょう) (梁瀬要害)
最寄地 栃木県那須郡那須町梁瀬341 2022.12.11
梁瀬城 (やなぜじょう) (梁瀬要害)
最寄地 栃木県那須郡那須町梁瀬341 2022.12.11
登城ルート
ここから登る
谷筋(左尾根に堀切)
西側堀切
主郭西側の段郭
主郭
東側堀切
梁瀬城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 那須町梁瀬の標高283mの山頂に築かれており、屈曲した主郭の西側に3段の段郭があり、その先に堀切がよく残っている。
一方、主郭の東側にも深い堀切が見られる。
【案内】 那須町梁瀬の表記番地の150mほど先の路肩に駐車できる[マップコード779 063 197*03](地図)。
擁壁手前から谷筋が見え、そこを登って行き中間から左尾根を見ると、凸凹しており、そこに西側の堀切がある。
【歴史】 芋淵氏の直裔で後に梁瀬に移り、簗瀬氏を称したという。築城時期(芋淵より梁瀬へ移転の時期)は明らかではないが、室町時代中期以降であると思われる。
簗瀬氏(柳瀬)は永正年間(1504~21年)頃から諸記に登場しており、伊王野氏に従って活躍していたと思われるが、後に梁瀬は大関氏領になり、簗瀬氏もやがて黒羽に移り住んだ。『那須町文化協会ホームページ』より。