伊奈氏屋敷 (いなしやしき) (県の史跡)
最寄地 埼玉県北足立郡伊奈町小室5-3 2015.2.19
伊奈氏屋敷 (いなしやしき) (県の史跡)
最寄地 埼玉県北足立郡伊奈町小室5-3 2015.2.19
登城ルート
表門跡
二の丸跡・土塁
伊奈氏屋敷趾碑
二の丸跡・土塁
二ノ丸跡空堀
裏門跡の空堀
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 綾瀬川の北に位置し、東西約350m、南北約750mの範囲に屈曲した道路が表門から裏門に通じており、土塁が点在している。史跡のほとんどが民有地となっている。
表記番地の南東に「表門跡」の説明板が建てられている[マップコード3 781 451*61] (地図)。
100mほど北に行ったところに土塁で囲まれた二の丸 跡があり、西から南にかけて堀が残っている(地図)。
約800m北西に行った、東北新幹線の東に裏門跡(地図)があり、空堀が残っている。
昭和九年(1934年)3月31日、県の史跡に指定された。
【歴史】 天正十八年(1590年)関東郡代伊奈熊蔵忠次は、周囲を泥深い湿田に囲まれたこの台地に、陣屋を構えた。
忠次は、利根川や荒川の付け替え普請、知行割、寺社政策など江戸幕府の財政基盤の確立に寄与しその業績は計り知れない。
関東各地に残る備前渠や備前堤と呼ばれる運河や堤防はいずれも忠次の官位「備前守」に由来している。
その後寛永六年(1629年)に三代忠治が川口市赤山に陣屋(赤山陣屋)を移すまで、この地が関東地方の天領を支配する拠点となった。