多良崎城 (たらざきじょう) (足﨑城)
所在地 茨城県ひたちなか市足崎 2016.2.21
多良崎城 (たらざきじょう) (足﨑城)
所在地 茨城県ひたちなか市足崎 2016.2.21
登城ルート(緑線は車道)
入口・城跡碑
一の木戸
本郭・虎口
2郭・土塁
3郭
狼煙台
多良崎城 本郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道31号線北の、勝田ゴルフ倶楽部(ひたちなか市長砂1506)西の舗装道路を北に約700m行った峠に入口があり、脇に「多良崎城跡」の石碑、説明板が建てられている[マップコード 47 354 245*75 ](地図)。その手前に駐車スペースがある。
そこより、約300m北に行くと、左側に土塁を巡らされた本郭がある。途中に「一の木戸」、「二の木戸」がある。本郭の北に隣接して2郭があり、土塁がよく残っている。
2郭の北に空堀で隔てられた3郭がある。
150mほど北西に行くと狼煙台(地図)があり、右手の平坦地に一部穴の開いた説明板が建てられている。
城跡公園として整備され、昭和五十年(1975年)6月23日、ひたちなか市の史跡に指定された。
【歴史】 詳細は不明であるが、城跡の構造や本郭内の屋形跡から出土した常滑焼大甕の形式より、鎌倉時代末から南北朝時代にかけて築城されたとされる。
築城者は常陸大掾吉田太郎広幹(ひろもと)の三男である多良崎三郎とされる。この地で地頭をしていたが、南北朝時代、南朝側についたため没落した。
次に江戸重通(しげみち)の次男が土着し、代々足崎氏を称した。しかし天正十八年に豊臣秀吉の命を受け常陸統一を目指す佐竹義重、佐竹義宣に攻略され、江戸勢は壊滅し落城した。自然の要害とはいえ、堀が浅く、作り自体が脆弱だった。それゆえ佐竹軍の前にして、籠城戦でも僅か一日で落城したという。『ウィキぺディア』より。