松山陣屋 (まつやまじんや)
所在地 埼玉県東松山市松葉町1‐1‐58 2014.10.2
松山陣屋 (まつやまじんや)
所在地 埼玉県東松山市松葉町1‐1‐58 2014.10.2
説明板
前橋藩松山陣屋跡の石碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 東松山市役所庁舎(表記番地)の東に「前橋藩松山陣屋跡」の石碑と案内説明板が建っている(地図)。
市役所、市立第一小学校東より武蔵野銀行や八幡神社の南の道路までの広い敷地であった。
【歴史】 松平大和守家は寛延二年(1749年)姫路藩より前橋藩に国替えとなった。
明和四年(1767年)、利根川の浸食を受けた本丸が崩壊の危機に曝され借財が多かった松平氏は前橋城を放棄し、武蔵国川越藩に移封された。前橋藩は廃藩となり、川越藩の分領としての陣屋支配となり、前橋城は明和六年(1769年)に破却された。
領民の前橋城再建・領主帰城の願いは強く、文久三年(1863年)十二月、時の川越藩主松平大和守直克は遂に幕府に願い出て前橋城の再築を開始した。領民による出資や労働奉仕を受け、前橋城は竣工、慶応三年(1867年)三月、松平直克が入城し前橋藩が再興した。
その際に、比企郡・高麗群・入間郡・埼玉郡周辺の6万2千石余の領地が前橋藩の飛び地になることから、この地域の統治を行う目的として慶応三年(1867年)に建設された。
周りを土塁と城塀、更にその外側を堀で固めた陣屋としてはかなり大規模なもので、敷地は約8万7千㎡に及ぶ正方形で国内でも最大規模だったといわれる。
明治四年(1871年)の廃藩置県によりその役割を終えた。