成瀬城 (なるせじょう)
所在地 東京都町田市南成瀬3‐16 2015.4.22
成瀬城 (なるせじょう)
所在地 東京都町田市南成瀬3‐16 2015.4.22
説明板
城山公園
説明板・城跡碑
城山公園
恩田川への斜面
成瀬城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 恩田川の南岸の表記番地に城山公園があり、「成瀬城跡」の石碑、説明板が建てられている[マップコード2 432 454*08]。
昭和47年から行われた発掘調査により空堀・土塁・櫓台等が確認されたが、公園の南端に約40mに亘って深さ1m未満の空堀跡がある程度で、遺構はほとんど無い。
公園南50mにも空堀があったと云われ、現在宅地となっているが、2郭を持つ城であったとされる。『町田市教育委員会説明板』より。
【歴史】 成瀬城の築城年代・城主については資料が乏しく、不明な点が多いが、平安時代から鎌倉時代初期にかけてこの地を領有した、横山党の鳴瀬四郎太郎の居館跡とする説が有力である。
室町時代後期の城主は中里伊賀守のほか、四条彦次郎・小山田弥三郎の名が挙がっている。
いずれにしても室町時代後期より相模は後北条氏により統治されていたことから、この成瀬城も相模の拠点・小机城の出城として北条氏の統治下にあり、天正十八年(1590年)豊富秀吉の小田原征伐の後、廃城となったと考えられる。