白華城 (はっかじょう)
最寄地 秋田県秋田市豊岩豊巻内縄尻124 2016.6.8
白華城 (はっかじょう)
最寄地 秋田県秋田市豊岩豊巻内縄尻124 2016.6.8
登城ルート
入口標柱
大手・説明板
大手
主郭・土塁
馬出
家中屋敷跡
白華城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【案内・感想】 県道65線より西に行った豊平神社に駐車できる。南に100m行くと、入口[マップコード494 823 237*72](地図)に標識が建てられている。
150mほど西へ行って、沢の右手、社との間に踏み跡がある(付近の住民の方に教えてもらった)。西へ比高50mの踏み跡を登ると大手に着く。説明板が建てられている。
大手門の先に搦手門があり右に馬出、一段高く主郭がある。主郭には東側に土塁が残る。北に堀切が残っている。
大手の左に家中屋敷跡がある。その下段に厩跡がある。
【歴史】 室町時代の文安四年(1447年)安東氏の支城として築かれたと云われている。
初代城主は安東氏の一族安東義仁(よしひと)で文武に秀でていた。
安東季林が城主の時、永禄十年(1567年)の冬、女児誕生の祝宴の終わった夜、雄物川向いの豊島館の荒武者豊島玄蕃の奇襲を受け落城した。季林は逃れ、安東氏を頼った。激怒した湊安東実季が反撃し2年後に奪還し、季林は旧領に復した。
徳川時代となって、領主安東実季は国替えとなり、慶長七年(1602年)常陸国宍戸城(現茨城県笠間市)に移された、しかし、白華城主であった豊巻安東氏は秋田に残り、新領主佐竹義宣の家臣となった。子孫は現在も秋田に健在という。