飯野陣屋 (いいのじんや) (県の史跡)
所在地 千葉県富津市下飯野965 2015.4.3
飯野陣屋 (いいのじんや) (県の史跡)
所在地 千葉県富津市下飯野965 2015.4.3
配置図
東側堀
東側・石碑・参道
東側堀・土塁
飯野神社
三条塚
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 南側水堀前に「飯野陣屋堀跡」の配置図説明板が建てられている(地図)。
陣屋跡南東に「飯野陣屋濠跡」「飯野神社」の石碑などが建てられ、駐車スペースがある[マップコード306 839 814*17](地図)。
神社の参道には桜並木が植えられ満開であった。神社の西の森の中に「三条塚」があり、周囲に堀が残っている。
飯野神社(表記番地)を中心にした東西約450m南北約270mのやや歪な長方形の敷地で、面積は12万3千㎡であり、東側に5、60戸の民家がある。周囲に水濠が廻らされ、土塁が良く残っている。
陣屋は、神社の建てられている二の丸(士族邸)、南西の本丸(藩邸)、北西の三条塚のある三の丸に分れていた。
日本三陣屋(長州徳山陣屋・越前敦賀陣屋・上総飯野陣屋)の一つとなっている。
昭和四十二年(1967年)3月7日、千葉県の史跡に指定された。
【歴史】 慶安元年(1648年)に保科弾正忠正貞が築いた。正貞は信州高遠城主保科家に生まれ、早くから徳川家康に仕え、大阪夏の陣には戦功があり、慶安元年六月大阪城番となり、前封と合わせ1万7千石を領し諸侯に列し、飯野藩主初代となった。
以後、廃藩置県まで223年間飯野藩主の居所となった。飯野藩は大阪城番や江戸城の門番を命じられることが多く、平素陣屋には代官2名がいて年貢の徴収などの事務処理を行っていた。