奥平城 (おくだいらじょう)
所在地 群馬県高崎市吉井町下奥平 2015.9.23
奥平城 (おくだいらじょう)
所在地 群馬県高崎市吉井町下奥平 2015.9.23
登城ルート
入口・城跡碑・説明板
虎口・堀道
主郭跡・奥2郭
2郭跡
南西側空堀
奥平城 2郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道200号線より県道171号線に入り、すぐ左折して約130m行くと、城跡碑と説明板が建てられている[マップコード94 071 545*27]。
路肩に駐車し登ると、右に畑として利用されている主郭があり、左に広い竹林となっている2郭がある。
北に宇田川が流れ、西から南にかけて急崖となっている。西側に空堀が残っている。 付近に環濠屋敷跡、武道原、止め場などの地名が残っている。
昭和四十六年(1971年)6月29日、高崎市の史跡に指定された。
【歴史】 奥平氏の祖赤松則景は源頼朝の挙兵に応じ鎌倉に上った。子・氏行は甘楽郡司となり12世紀末、奥平村に築城し奥平氏を称した。
6代定政は郷士を率い新田義貞に属し、建武の中興に功があった。その後、子孫は南朝方で活躍したが14世紀末、8代貞俊は三河国に移り川尻城を築いた。奥平氏在城は200年に近かった。『高崎市教育委員会説明板』。