小野崎城 (おのざきじょう)
所在地 茨城県常陸太田市瑞竜町570 2016.2.27
小野崎城 (おのざきじょう)
所在地 茨城県常陸太田市瑞竜町570 2016.2.27
小野崎城址碑
瑞竜中学校
グランド南側
グランド南西側
小野崎城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 常陸大宮市立瑞竜中学校(表記番地)敷地となっている。
「瑞竜中三十年のあゆみ」の右に「小野崎城址」の石碑(碑文あり)が建てられている(地図)。
遺構は消滅しているが、グランド南西側に切岸が若干見られる。
【歴史】 鎮守府将軍藤原秀郷の4世の孫(玄孫)通延が常陸国太田郷に移住し太田太夫と称した。
その子・通成は佐都郷に移り、孫の通盛の時、小野崎の地に土着し小野崎氏を名乗り、城を築いた。
通盛の子・通長の時、佐竹氏に臣従し代々主家を助け、身命を投げ打って多くの合戦に活躍した。南北朝の争乱が始まると、小野崎氏一門は佐竹義篤に属して各地に転戦し、討死する者もあった。
佐竹氏はこの動乱に対処するため小野崎通胤を多珂庄に移した。通胤は父祖の地を去り、友部城を築城して移住した。
その子・通春は隣接の地山尾に築城して移り、小野崎惣領家は代々山尾(山尾城)に居住して山城守を称することとなった。
小野崎城址は、小野崎氏発祥の地であり、通盛-通長-通政-通経-通房-為通-高通-常通-行通-通胤に至る10代約2百年間の血と汗の地である。『石碑文』より。