小谷城 (こやじょう)
最寄地 栃木県小山市下生井938 2015.1.7 2018.9.8
小谷城 (こやじょう)
最寄地 栃木県小山市下生井938 2015.1.7 2018.9.8
説明板
城址碑・説明板
北東側
旧思川
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 旧巴波川や旧思川を天然の堀とし、土塁、堀を巡らした平城と伝えられ、規模は東西4町50間(526m)、南北3町20間(363m)の楕円形であったという。
旧思川から北は「小山上生井郵便局」辺りまでの広大な城という事になる。
【案内】 県道174号線東に面した表記番地の南の「神明宮」に「小谷城址」の石碑、説明板が建てられている[マップコード45 881 515*44](地図)。
【歴史】 12世紀末、小谷三郎俊景により築城され、後に小山政光が城主となり居住したと伝えられている。
南北朝時代(1336~92年)には小山一族網戸村重が生井八郎と称し、小山城の支城の役割を担っていたが、永享十二年~嘉吉元年(1440年~41年)結城合戦において、結城氏に与し敗れ、奥州に逃れた。
その後、小山秀綱が再興し、大橋左京亮を城主としたが、天正十八年(1590年)小山城落城とともに、廃城となった。『間々田商工会・小山歴史研究会』看板より。