騎西城 (きさいじょう) (根古屋城・私市城) (きさいちじょう)
最寄地 埼玉県加須市根古屋633 2013.11.27
騎西城 (きさいじょう) (根古屋城・私市城) (きさいちじょう)
最寄地 埼玉県加須市根古屋633 2013.11.27
模擬天守
堀跡
土塁跡・「私市城阯」碑
「私市城阯」碑
小田顕家(右)・同夫人(左)の墓
騎西城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道38号線に面して、「騎西生涯学習センター」(表記番地)の南に濠がある公園の中に、三層の模擬天守が建てられている。資料館を兼ねているが閉館中である。南西にも道路を挟んで「城山公園」がある。
県道38号線を挟んで騎西生涯学習センター駐車場の反対側に、土塁が保存され、説明看板が設置され、土塁上に「私市城阯」石碑(地図)が建てられている。
雲祥寺(鴻巣市上会下229)本堂裏の住職の墓の横に、小田朝興の養父で騎西城主であった小田顕家夫妻の墓がある(地図)。
【歴史】 庁鼻和城(こばなわじょう)主上杉憲信の支城であったが、康正元年(1455年)、古河公方足利成氏に攻略され落城した。
永禄六年(1563年)上杉輝虎(謙信)が小田助三郎(朝興:忍城主・成田長康の弟)の守る騎西城を攻め落した。
天正年間に入ると忍城主・成田氏長が叔父小田朝興の騎西城を併合して弟の成田長忠を入れたとされる。
天正十八年(1590年)の小田原征伐後、松平康重に2万石の城を与えられた。関ヶ原以後、慶長六年(1601年)大久保忠常が城主となった。
寛永九年(1632年)忠常の子・大久保忠職(ただもと)が美濃加納城へ移封となり、廃城となった。
大久保氏は後に小田原城で明治維新を迎え、騎西城の絵図が伝えられた。