岩切城 (いわきりじょう) (高森城) (国の史跡)
所在地 宮城県仙台市宮城野区岩切入山 2013.11.8 2018.4.20
岩切城 (いわきりじょう) (高森城) (国の史跡)
所在地 宮城県仙台市宮城野区岩切入山 2013.11.8 2018.4.20
城跡碑・入口
三の丸
二、三の丸間堀切
二の丸跡
本丸堀切
本丸虎口
本丸跡
岩切城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道8号線(利府バイパス)「洞ノ口」交差点より西に、県道35号線を550m行った交差点を右折、約1km登った路肩に駐車スペースがある[マップコード21 833 093*36]。
入り口に城跡碑が建てられ、100m程行くと、三の丸跡があり、良好に残る堀切で分けられた二の丸跡、本丸跡が南東方向に並んでいる。
本丸跡は現在「高森山公園」として桜の名所になっている。標高106mの急峻な岩山に築かれ東西約500m、南北約400mの城跡である。
昭和五十七年(1982年)8月23日、国の史跡に指定され、平成二年(1990年)4月27日、追加指定された。
【歴史】 藤原氏の城であろうか、その後頼朝の時代に利用された。平泉藤原氏の滅亡後、源頼朝は重臣伊沢将監家景を陸奥国の留守職に任じた。
伊沢氏は留守姓を名乗り岩切城を居城とした。貞和二年(1346年)足利尊氏は奥州管領として吉良貞家、畠山国氏を任命するが、足利家内部で兄尊氏と弟直義の対立が激化すると、吉良、畠山両者も争うことになった。
留守氏は畠山氏、宮城氏と共に尊氏側に加担したが、正平六年(1351年)ここ岩切城での合戦に敗れ、岩切城は落城、留守氏は衰えた。元亀年間(1570~73年)留守氏が居城を利府城に移すと、岩切城は廃城となった。
その後留守氏は伊達氏と親族関係を結んで勢力を回復、藩政時代には留守宗利が水沢(水沢城)に1万6千石を領し、伊達家の一門格に列せられた。