新庄城 (しんじょうじょう) (沼田城・鵜沼城)
所在地 山形県新庄市堀端町2丁目1 2013.11.7
新庄城 (しんじょうじょう) (沼田城・鵜沼城)
所在地 山形県新庄市堀端町2丁目1 2013.11.7
二の丸跡(手前)・堀
土橋・物見櫓跡
物見櫓跡より土橋
表御門石垣
本丸跡・土塁
庭園
新庄城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道36号線の西の「最上公園」となっている(表記番地)。本丸にある戸澤神社南に駐車できる[マップコード221 350 591*03]。
本丸門跡の石垣を抜けると本丸跡に護国神社、戸澤神社、稲荷神社、天満神社(藩政時代からの現存建築物)が建てられている。土塁や堀も美しい。
二の丸は、本丸を囲んであったが、大部分は埋められ、住宅地などになっており、東側が一部残っている。
【歴史】 常陸松岡藩主・戸沢政盛が元和八年(1622年)6万石で入封し、当初鮭延城に入った。
しかし狭い山城の為、新たに新庄沼田の地にあった小城、沼田城を元に新庄城を築城開始し、寛永二年(1625年)完成し、鮭延城より藩主以下移住が行われた。
寛永十三年(1636年)火災により天守を焼失したが、再建されなかった。
慶応四年(1868年)の戊辰戦争の際、奥羽越列藩同盟に加盟していたが、久保田藩が新政府軍に変節したのに同調し列藩同盟を離脱したため、これに激怒した庄内藩に攻められた。藩主戸沢正美は久保田藩へ落ち延び、廃城となった。