中山古城 (なかやまこじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡高山村中山552−3 2019.2.16
中山古城 (なかやまこじょう)
最寄地 群馬県吾妻郡高山村中山552−3 2019.2.16
登城ルート(緑線は車道)
標識
谷戸の郭・説明板
上段の谷戸の郭
西側の堀切
主郭
南西の腰郭
中山古城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 高山村中山の標高679mの丘陵に築かれている。2段の谷戸の郭を挟んで西側の尾根に主郭、東側の尾根に副郭があり馬蹄形の構造となっている。
それを繋ぐ北側の尾根に堀切が2条あり、更に本尾根との間に深い堀切がよく残っている。
【案内】 国道145号線「新田」交差点の東側より村道に入り300mほど行くと、左側に空き地がありそこに駐車した[マップコード183 460 286*42]。
約200m西に藁葺きの家屋があり、その左(西)側に標識が建てられている。そこより住宅裏手の墓地横を通る登城路があり、約300mで谷戸の郭に着く。上段にも広い谷戸の郭が広がっている。
下段の谷戸の郭には石宮が2基あり、説明板が建てられている。そこより左に登ると、岩場を経て、腰郭、主郭に着く。
主郭の東に、堀切があり、郭を挟んで浅い堀切がある。さらに東に深い堀切があり、南に傾斜した東側の郭がある。
【歴史】 鎌倉時代初期この地に移り住んだ中山氏が城主とされ、中山氏の祖は児玉党の阿佐見弘方の子・実髙との伝承がある。
同じく児玉党の阿佐見を出自とする岩櫃城主斉藤憲行の次男次郎幸憲が中山氏の祖とも云われる。いずれにしても中山氏の始祖は阿佐見実髙とする説で一致する。
『加沢記』によれば、天正十年(1582年)六月、中山右衛門が津久田に於いて戦死したのを機に、中山古城は北条方に渡り、その後中山城が北条氏により築かれると、廃城となった。『現地説明板』より。