富田城 (とみたじょう)
最寄地 千葉県山武市富田1715 2018.9.23
富田城 (とみたじょう)
最寄地 千葉県山武市富田1715 2018.9.23
登城ルート
消火栓横の登り口
切岸
東の平坦地・善兵衛公園
東側の土塁
西端の宝筐印塔墓・土塁
富田城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 山武市富田の比高約30mの台地西側に築かれている。目立った遺構は少ないが、土塁が部分的に残されている。
訪問した折り、大高善兵衛の子孫がおられ、公園で曼珠沙華の手入れをされていた。千坪もある敷地手入れの苦労話の中で、戦国時代、城跡は住民の避難場所として使われたという。
【案内】 国道126号線に平行した市道に面し光明寺(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード137 110 017*15]。
光明寺前を東に約70m行くと消火栓があり、そこから光明寺の墓地背後を斜めに登る道がある。
神社前を過ぎて、東に登ると城跡に「善兵衛公園」があり、江戸末期、間引き撲滅運動の篤志家大高善兵衛の墓が安置されている。
東側に土塁があり、西側に一段低く平坦地があり、西側に忠霊塔が建てられている。その西に宝篋印塔のある大高家の墓地があり、土塁が残っている。
付近に「大城門」「宮城」「城之口」といった地名が残っているという。
【歴史】 津辺城の南東約500m、成東城の北東約1.5kmの台地にあり、詳細は不明である。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の際に成東城も落城しており、同時に落城したとも考えられる。