小金城 (こがねじょう) (大谷口城)
所在地 千葉県松戸市大谷口 2014.1.26
小金城 (こがねじょう) (大谷口城)
所在地 千葉県松戸市大谷口 2014.1.26
城跡碑
金杉口
障子堀
主郭・土塁
主郭・土塁
畝堀
小金城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 比高10mほどの丘に「大谷口歴史公園」となり、北側に駐車場[マップコード6 876 875*46](地図)がある。東は住宅地となっている。
北より登るとすぐ虎口の金杉口跡があり、東に巾約4m深さ約3mの「障子堀」(堀の中央に間仕切りを設け防御した堀)がある。
主郭には土塁が良く保存され、休憩用四阿が建てられ、立派な「小金城跡」の石碑が建てられている。
南に巾約7m深さ約3mの「畝堀」(粘土質の底に直角に畝を立て足元を悪くして防御性能を高めた)がある。南方には高層マンションが望める。
【歴史】 天文六年(1537年)九月に千葉氏の家老・原氏の重臣の高城胤吉によって築かれ、胤吉、胤辰、胤則と3代53年間の居城となった。
胤吉は城建設以前には近郊の栗ヶ沢城、根木内城を根拠地として構えていたが、小弓公方足利義明の進出に対抗するために大谷口に新城を築城して移った。
永禄年間(1560年代)、古河御所を追われた古河公方足利義氏の仮御所の役目と、義氏に敵対する関東管領上杉憲政を擁立して関東へ侵攻した上杉謙信に備えて拡張されたと考えられている。
実際、永禄九年(1566年)二月には上杉方に小金城を包囲されたが、籠城して乗り切ることに成功した。
天正十八年(1590年)の小田原征伐の際、高城氏は後北条氏に従い小田原城に篭城し、小金城は豊臣方の浅野長政らに攻められ開城した。
その後、徳川家康の五男、武田信吉が居城としたが、文禄二年(1593年)に廃城となった。