中館 (なかたて)
最寄地 宮城県気仙沼市松川前23-1 2017.7.8
中館 (なかたて)
最寄地 宮城県気仙沼市松川前23-1 2017.7.8
登城ルート
登り口・標柱
空堀・土橋
腰郭
主郭
主郭・櫓台
館跡標柱・祠
中館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 大川と松川川に挟まれた標高84.5mの山頂にあり、月館城の南約500m、赤岩城の西約600mに位置している。
空堀、切岸、腰郭を伴った細長く広い主郭があり、熊谷氏一族の争いの舞台となった城である。
【案内】 国道284号線より県道209号線を約350m北に行くと、里宮神社の手前に説明板が建てられている。
そこより西へ200mほど行くと、案内標識がある[マップコード193 275 351*37](地図)。左折し西に約350m行くと道路は広く路駐でき、登り口がある[マップコード193 275 465*47](地図)。
階段より登ると作業道に出、右に行くと、空堀があり、更に登ると平場がある。
主郭は南北100mほどと広く畑として利用され、北側に高くなっており、最高所の櫓台に、祠が祀られ館跡碑が建てられている。
【歴史】 築城年代は、建武年間(1334~36年)熊谷直髙が居城していたとされ、また永享十年(1438年)磐井郡中里に居た熊谷直継が築いたとするなど諸説ある。
熊谷氏は南北朝時代後半には、葛西氏の家臣たなっていた。天文二年(1533年)赤岩城12代直景が葛西氏に殺害された事件以降、一族の内紛が続いた。
天正二年(1574年)四月、中館城主熊谷上総直平が挙兵し、赤岩城・長崎城(地図)・月館城を攻撃した。
これに対し葛西晴信は熊谷一族に命じて中館を攻撃させ、直平は大敗し自刃、直平の子直勝は気仙郡に敗走した。
その後、長崎城2代直正の子直房が中館城主となったが、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置により廃城とされ、直房の子直方は伊達家の家臣になった。