由木城 (ゆぎじょう) (柚木城・由木氏館・大石氏館)
所在地 東京都八王子市下柚木4 2022.8 19
由木城 (ゆぎじょう) (柚木城・由木氏館・大石氏館)
所在地 東京都八王子市下柚木4 2022.8 19
永林寺中雀門(勅使門)
石垣・城跡看板
由木城址碑
大石定久公の像
頂上西側の堀
頂上平坦地
由木城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 八王子市下柚木の永林寺が居館跡で、周囲を馬蹄形の山で囲まれている。遺構は少ないが、北側に石垣の段が見られ、背後の山頂に堀が僅かに残っている。
【案内】 都道160号線(野猿街道)より北に行った永林寺駐車場が利用できる[マップコード2 751 217*05]。
山門より北に行くと本堂があり、その左側より北の墓地に回ると、城跡看板の目立つ石垣が見え、石垣上に「由木城址」の碑と大石定久公の像が建てられている。
北側に少し登ると、頂上の平坦地があり、西側に堀が見られるが、北側尾根に堀切は見られなかった。
【歴史】 関東管領・山内上杉氏の重臣で高月城主大石定重の子であった大石定久の居城であった。
大永七年(1527年)定重が没すると、家督を相続して滝山城へ居城を移った。その際に叔父である一種長純にこの地を譲り、天文元年(1532年)に永林寺が創建された。
天文十五年(1546年)、山内上杉氏が北条氏康に河越城の戦いで大敗し没落すると、主君の上杉憲政を見限って後北条氏に臣従した。
定久は北条氏照を養子に迎えて家督と武蔵守護代の座を譲り、戸倉城に隠居し、天文十八年(1549年)に没した。
天正十八年(1590年)の「小田原征伐」により北条氏が滅亡すると、定久の実子・定仲と養子・定勝はともに徳川家康に仕えたという。