椎津城 (しいづじょう)
最寄地 千葉県市原市椎津685 2015.4.5
椎津城 (しいづじょう)
最寄地 千葉県市原市椎津685 2015.4.5
説明板
登城ルート
曲輪・説明板
主郭と城跡碑
虎口
椎津城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 表記番地の住宅地の細い道を行った北に、入り口[マップコード49 799 202*16](地図)があり、登るとフエンスが建てられた平坦地があり説明板が建てられている。
北に土塁を越えると竹林の中に主郭がある。城跡碑が建てられ、周囲に土塁が残り北側に虎口がある。北から東にかけて崖となっている。道は狭く駐車スペースは少ない。
【歴史】 築城年代は不明であるが、真里谷武田氏、続いて安房里見氏、北条氏の重要な拠点となっていた。
天正十八年(1590年)豊富秀吉の小田原征伐の際、徳川軍により攻められ、落城したとされている。
発掘調査により、北条氏の築城にみられる薬研桝形の内堀が確認され、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」では里見氏につながりのある城として登場している。『市原市教育委員会説明文』より。