中野城 (なかのじょう) (中野館)
所在地 群馬県邑楽郡邑楽町中野3015 2015.1.11
中野城 (なかのじょう) (中野館)
所在地 群馬県邑楽郡邑楽町中野3015 2015.1.11
神光寺・説明板・大カヤ
神光寺
北東の土塁
中野城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 神光寺(表記番地)参道に説明板が建てられている。天然記念物「神光寺の大カヤ」(推定樹齢約770年)が、山門横にある。
規模は神光寺敷地を含め、東西110m、南北140mに及ぶと云われ、わずかに北東側の土塁の残欠を確認できる。
【歴史】 鎌倉時代中期の文永二年(1265年)新田義重の子孫中野景継によって築城された。
景継の子中野藤内左衛門が延元三年(1338八年)越前国の藤島の戦いで主君新田義貞と共に戦死したため、廃城となったと伝えられている。
戦国時代の永禄年間(1558~70年)には小泉城主冨岡氏配下の宝田和泉守が、中野氏の故城を修築し本拠としたが、天正十八年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐による関東平定で廃城となった。