金尾要害山城 (かなおようがいさんじょう)
最寄地 埼玉県大里郡寄居町金尾216 2014.3.26
金尾要害山城 (かなおようがいさんじょう)
最寄地 埼玉県大里郡寄居町金尾216 2014.3.26
登城ルート
二の曲輪
竪堀
本曲輪・展望台
帯曲輪
伝蔵院
金尾要害山城 本曲輪跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【案内・感想】 県道82号線の「長瀞カントリークラブ」入口の東に駐車場が用意され[マップコード150 768 104*34]、道路向かいの擁壁に木製階段の公園登り口がある。
標高229m比高約60mの「要害山・金尾山・つつじ山」頂上に帯曲輪を備えた本曲輪があり、展望台が建てられている。山頂からは荒川や寄居町が望める。
一段下に二の曲輪があり、土塁、竪堀、馬出しなどが残されている。永禄三年以降、城の守護神として祠堂を建立したのが始まりと云われる愛宕神社があり、火伏せの神・阿久津智命と導きの神・猿田彦命が祀られている。
東麓の伝蔵院は城主の居館跡で、ここから裏山越えに城へ往来したと云われる細道が残る。金尾弥兵衛居館跡の「伝蔵院」(表記番地)があり、「日本二体梵字板碑」が建てられている。
また明治十七年(1884年)10月31日の秩父事件の金尾集合地となった事でも有名である。
【歴史】 鉢形城の西の支城として、金尾山に天文元年(1532年)藤田左衛門佐(さえもんのすけ)重利が築城したと云われ(天神山城も築く)、城主は金尾弥兵衛であった。
天正十八年(1590年)六月十四日、豊富秀吉の小田原征伐の際、鉢形城の落城と共に、廃城となった。