椿田城 (つばきだじょう)
所在地 栃木県佐野市船津川町2367 2015.1.11
椿田城 (つばきだじょう)
所在地 栃木県佐野市船津川町2367 2015.1.11
椿田城址碑・標柱
椿田城址碑
椿田十一面観音福地堂
北側の堀
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道7号線の渡瀬川の北830m地点より西に100m分岐を北に行くと、間もなく民家敷地内に「椿田城址」石碑、説明板が建てられている[マップコード64 397 457*14](地図)。
南に「椿田十一面観音福地堂」があり、西側に土塁、北側に水堀が残っている。渡良瀬川の支流才川の左岸に位置している。
【歴史】 永禄三年(1560年)唐沢山城の出城として築かれ、川越、忍、館林方面に対する抑えとして、代々福地氏が城主となっていた。
7代福地直久は応永四年(1397年)西国の乱に際し、備中戸岩の城攻めに出陣した。
また20代寧久は天正十一年(1583年)唐沢山城主・佐野宗綱に従って彦間須花坂の合戦に出陣した。
慶長十九年(1614年)佐野氏が改易されると、廃城となり、以後福地氏が名主・郷士として住んできた。