塩越城 (しおこしじょう)
最寄地 秋田県にかほ市象潟町1丁目塩越217 2016.8.6
塩越城 (しおこしじょう)
最寄地 秋田県にかほ市象潟町1丁目塩越217 2016.8.6
説明板
芭蕉逗留の家
会館駐車場・城塁
虎口
本丸曲輪と土塁
本丸曲輪と土塁
塩越城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 表記番地の東に隣接する「小浜唐ヶ崎会館」の横に説明板が建てられている[マップコード231 153 182*67]。中に会館駐車場があり、城跡北東土塁がある。
会館の西に30mほど行くと、芭蕉逗留の家・「今野又左衛門の家」があり、その間の路地を入ると、城跡虎口があり城跡の北西隅に出る。方形の土塁に囲まれた曲輪は畑となっている。
城の規模は東西約218m南北約327mであった。本丸は東西約60m南北約49mで高さ約4.5mの石で側面を固めた城壁であった。
【歴史】 江戸時代初期の大名・仁賀保氏の居城跡である。元和九年(1623年)由利十二頭の一人仁賀保挙誠(きよしげ)は、常陸国武田から一万石の大名として入部した。
伝承では戦国時代の塩越の地侍池田氏の居館とされる塩越館に入ったと云われる。
挙誠は入部の翌年に病死し、その後長男蔵人良俊が七千石家、次男誠政(しげまさ)が二千石家、三男誠次(しげつぐ)が千石家と3家の分知となり、良俊が塩越城に入った。寛永八年(1631年)に良俊が亡くなり、廃城となった為、城の存続期間は9年間に過ぎなかった。
塩越が寛永十七年(1640年)本荘藩六郷氏の領有となってから、その跡地の一角に塩越町奉行が置かれた。