仲山城 (なかやまじょう)
最寄地 埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷366 2015.1.24 2018.1.19
仲山城 (なかやまじょう)
最寄地 埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷366 2015.1.24 2018.1.19
登城ルート
林道右の登り口
主郭北西石積
北側堀切
主郭・四阿
説明板
3郭南空堀
仲山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 荒川左岸の陣見山山系に囲まれた標高282.3mの山頂に主郭がある。
北西より2郭、主郭、3郭と並んでおり、2郭の北に堀切、3郭の南に空堀が残っている。
【案内】 国道140号線より県営長瀞小坂団地(表記番地)に向かう。すぐ右に「野上下郷石塔婆」があり、約650m北上すると入口がある[マップコード150 795 215*68]。その先の林道「榎峠線」手前が少し広く路駐できる。
案内標識より東に約80m、民家の石垣に矢印がある(地図)。道なりに北に登り切通の直前に「道路改良記念」碑があり、その反対側より切通に沿って登る。
200mほど行くと空堀・土橋があり、四阿のある主郭に着く。主郭の北に石積みがあり、土塁の上に板碑「摩利支天」「金比羅大権現」「子ノ大権現」が祀られ、手前に説明板が建てられている。
【野上下郷石塔婆】 仲山城主阿仁和直家が落城の際討死し、13回忌の応安二年(1369年)十月に夫人の芳野御前(妙円尼)が追善供養のために建立したものである。昭和三年(1928年)2月7日、国の史跡に指定された。
【歴史】 京都にいた北面の武士の阿仁和兵助橘基保が、神託により一族を率いて東国に移り住み新田義貞に仕え、正和元年(1312年)に金山城主・新田義興(義貞の次男)の配下として築城した。
建武二年(1335年)、基保が病死をし、長男直家が二代目城主となった。
延文二年(1357年)二月に秋山城主・秋山新九郎続照と興西寺梅林での梅見の場所取りで争いを起し、重ねて秋山続照の腰元「白糸」に恋慕した色恋沙汰のもつれから十月に合戦が始まり、秋山続照とその叔父の平井城の平井仙蔵重勝の連合軍に攻められ、直家は荒川樋ノ口川原の破岩下で討死し、城も落城した(享年45)。『ながとろ風土記』より。