杉本城 (すぎもとじょう)
所在地 神奈川県鎌倉市二階堂903 2014.2.4
杉本城 (すぎもとじょう)
所在地 神奈川県鎌倉市二階堂903 2014.2.4
杉本寺
二の郭・供養塔
二の郭
主郭・櫓台
主郭・櫓台
杉本城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 周辺は観光地で駐車スペースは無く、東側の「報国寺交差点」南の有料駐車場を利用した[マップコード8 248 111*42]。
「杉本寺」(表記番地:奈良時代に行基により開かれた鎌倉最古の寺)の石段を登り本堂(千住観音、拝観料200円)の裏手に位置する。
比高約40mの山頂に二の郭跡や主郭跡があり、大日如来や供養塔が祀られている。南北朝の争乱の戦死者であろうか?
【歴史】 三浦氏の棟梁三浦義明の庶子で杉本氏の祖・杉本義宗は三浦半島を出て鎌倉郡杉本郷に居を構え、築城した。
義宗が安房国長狭常伴との合戦の矢傷で亡くなるが、その後、義宗長子・和田義盛は三浦郡和田郷に拠点を構え、義宗の次男、義成が入城し、杉本の家督と城を守った。
その後、源頼朝の挙兵により、治承・寿永の乱が起きると、三浦一族は源氏方についたものの、治承四年(1180年)頼朝勢が平家方大庭景親勢に激突した石橋山(現小田原市)の合戦で敗北した後、由比ヶ浜に平家方・畠山重忠が進駐してきた。
三浦氏は畠山氏と姻戚関係にあったが、畠山勢の三浦勢攻撃と誤解した義茂は杉本城内から畠山勢に攻めかかり、合戦に及ぶなど杉本城は源平合戦における軍事的拠点として重要な役割を果たしている。
その後、杉本城は鎌倉時代末期頃、堀切及び溜池、詰の場所等が設けられ、搦め手は瑞泉寺まで達し、武家の都、鎌倉郷内の重要な城郭として存続した。
建武二年(1335年)北朝方(足利方)総太将・斯波家永が守る杉本城を陸奥将軍府・北畠顕家軍が朝夷奈切通しから攻め入り、杉本城の城兵ことごとく討ち死にし、落城した(杉本城の戦い)。