勝山城 (かつやまじょう) (氏家城)
最寄地 栃木県さくら市氏家1297 2013.11.5
勝山城 (かつやまじょう) (氏家城)
最寄地 栃木県さくら市氏家1297 2013.11.5
登城ルート(緑線は車道)
空堀・橋
空堀・本丸との橋
本丸・土塁
本丸西空堀・土塁
本丸南西空堀・土塁
二の丸南郭跡
勝山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道125号線(奥州街道)より西に行った「さくら市ミュージアム・荒井寛方記念館」(表記番地)[マップコード39 880 602*62]の駐車場が利用できる。
その北西に位置し、西に鬼怒川を望む崖端城である。空堀に架けられた木の橋を渡ると土塁をめぐらす本丸跡がある。
本丸跡は東西80m南北70mの規模で土塁の高さ3~5mで見応えがある。本丸西側の勝手虎口付近に説明版が建てられている。
本丸の北側に小さな二の丸北出郭(勝山公園となっている)、南側に二の丸南郭(地図)があり、東に二の丸東郭(ミュージアムや宅地となっている)があり堀と土塁で分けられている。 全体の南に三の丸があったが畑、住宅地となっている。
【歴史】 鎌倉時代末期宇都宮氏一族の氏家氏により築かれた。氏家郡二十四郷支配の拠点として、また宇都宮氏の配下として、北辺を守る重要な場所だった。
南北朝時代に入ると氏家氏は没落し、芳賀高家の子・芳賀高清が飛山城から移り住み、芳賀氏の城となった。
慶長二年(1597年)に宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると勝山城も廃城となった。