益子古城 (ましここじょう)
最寄地 栃木県芳賀郡益子町大字益子3017 2020.6.27
益子古城 (ましここじょう)
最寄地 栃木県芳賀郡益子町大字益子3017 2020.6.27
南郭・益子陶芸美術館
配置図
道路横の堀切
北側堀切
本郭北西の横堀
本郭・遺跡広場・礎石
西郭・芝生広場
益子古城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 益子城の北東約600mの丘陵に築かれている
遺跡広場が本郭で北側道路両側に堀切が残っている。北西側に横堀や帯郭が見られる。
南郭は「益子陶芸美術館」となり、西郭は細長い芝生広場として整備され土塁が見られる。
【案内】 「陶芸メッセ・益子」に向かい、その先に登った遺跡広場西に駐車場が用意されている[39 177 473*35]。 美術館奥には茅葺屋根の「旧濱田庄司邸」が保存され、登り窯などが見学できる。
1989~93年にかけて発掘調査が行われ10棟の建物跡が検出されたという。
【歴史】 平安時代末期、紀古佐美あるいは紀貫之の子孫がこの地を支配し、益子氏を名乗った。その益子氏初期の居城と云われ、その後南西約600mに益子城を築いて移ったといわれている。
天正十七年(1589年)宇都宮国綱に攻められ落城した。