角田城 (かくだじょう) (角田要害・金鶏館)
所在地 宮城県角田市角田牛舘1 2016.6.4
角田城 (かくだじょう) (角田要害・金鶏館)
所在地 宮城県角田市角田牛舘1 2016.6.4
正門横説明板
城跡碑
角田高校
南側斜面
角田城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道105号線「角田高校前」交差点の西、正門横に説明板が建てられている[マップコード156 169 871*67] 。
本丸には県立角田高等学校(表記番地)の校舎が建っている。独立丘陵にあり、切岸に城郭の雰囲気が漂う。
【歴史】 永禄年間(1558~70年)、伊達氏の家臣・田手宗光が築城した。
角田城を巡って伊達氏と相馬氏の争奪戦が繰り広げられたが、宗光は相馬氏と通じて反旗を翻した。伊達輝宗は後に角田城を奪還し、父と異なり伊達氏に従った宗光の子田手宗時が城主となった。
しかし、天正十年(1582年)宗時は戦死した。そのため同十九年(1591年)には政宗の家臣伊達成実が二本松城より移ったが、文禄四年(1595年)成実は出奔し、城は政宗により接収を受けた。
慶長三年(1598年)政宗の叔父・三芦城主石川昭光が1万石を領し、石川氏が明治維新まで在住した。
江戸時代中期に要害になった(伊達21要害の一つ)。
明治元年(1868年)十二月角田地域を含む白石に戊辰戦争で朝敵となった盛岡藩南部氏が減封の上で移封された(白石藩)。以降数年間、角田要害は南部氏によって管理された。
明治四年(1872年)十一月仙台県に編入されるまで県庁舎として使用された。